ご飯の魅力を語ろう

vol.3笠原将弘さん

恵比寿 日本料理「賛否両論」オーナー兼料理人

動画の内容をインタビュー記事で読めます

#2 海外の「なんちゃって和食」にも
それなりの意味がある

和食がユネスコ無形文化遺産に登録される一方で、海外の日本料理レストランで提供されている料理には、思わず「これが和食?」と思うようなものも存在します。ではその「なんちゃって和食」がいけないのかと言えば、僕は一概にすべてダメとは言いきれないと思っています。日本に伝わったばかりのフレンチやイタリアンも、きっと本場の人から見たら「なんちゃってフレンチ」「なんちゃってイタリアン」だったはず。けれどそこから独自の発展を遂げてしっかりと日本の食文化に根付いたわけで、最初の試行錯誤がなければ日本のフランス料理業界やイタリア料理業界は発展しなかったとシェフたちも言っています。
ですから、海外における「なんちゃって和食」も海外に正しい和食が定着するまでの過渡期であり、必要な過程なのかもしれないと感じます。
その国の「食べやすさ」もありますよね。例えば日本人も最初はアルデンテを「生茹でじゃないか!」と思ったはずです。でも今ではアルデンテのおいしさを誰もが知っている。
しかもたらこスパゲティのように「イタリアン日本風」のようなメニューも生まれました。和食が一度その国の料理に染まり、多少違う方向に進みそうになったとしても、それがその国ではおいしいと受け入れられ「いつか日本に行って本場の和食を食べてみたい」と思う人が出てきたら、和食もどきにも役割があったということです。和食を世界に広げようと活動されてきた僕の先輩の世代の方々も、「ようやく和食文化の枝が伸び葉が付いてきたところなので、それを摘み取ってしまうのではなく花が咲くまで待とう」とおっしゃっています。カリフォルニアロールという太巻きもありますが、それも邪道と切り捨てるのではなく、お寿司から派生したものと考えればいいだろうと。日本もそうして他国の食文化をアレンジして受け入れてきたわけですからね。
ただし、根拠なく「なんちゃって」を作るのはNGです。イタリアでイタリアンの修行をしたシェフが日本でしっかり茹でたパスタを出したのは、アルデンテが日本人には受けないからと判断したからのはずです。日本人から和食を学んだ外国人が「本来の和食とは違うけれど自分の国の人の舌に合うようにちょっとアレンジしよう」というのはありだと思いますが、本当の和食を知らずに本で読んだだけの知識程度で「なんちゃって和食」を作り出すのは危険だと思います。
一方、日本の日常の食生活に洋食や中華など、和食以外の料理が取り入れられるとどうなるのでしょう。といってもすでにそのような食生活は定着してしまっていますが、海外の味というのは基本的に濃いし「食べていきなりおいしい」というわかりやすい味が多いので、それに味覚が慣れると次第に濃い味ばかり求めるようになってしまいます。体にもよくありませんし、せっかく日本人が持っているすぐれた味覚が鈍ってしまいます。それに頭を使う三角食べができないので考えないで食べるようになります。全部混ぜて食べてしまうような料理や、汁をぶっかけて食べるような料理では頭を使わなくなるし、何より風情もないですよね。
#3へ続く